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評論家はかっこいい

数週間まえのこと。夕食をとろうと近くのラーメン店に入った。そこではFMラジオが流れていて、どうやら津田大介の番組で東浩紀がゲストのようだった。食事をしながらであったし、話題もいくつかにまたがっていたのではっきりとは覚えていないのだが、そこで東氏が「現代は非常に行動が求められる時代」だとし、曖昧な態度は許されずひとたび何かに言及しようとすると「じゃあ、お前は何してるの?」と問われる時代であると言っていた。しばらく時間がたつが今でも強く印象に残っている。

 

言われてみると現代はまさしく行動至上主義とでもいえるかもしれない。先日ネットでうっかり読んで後悔したのが、とあるベンチャー経営者が起業家である自分だけがわかる苦しみみたいなことをいっている記事で、曰く「これはどんな大企業の重役にもわからないだろう」といった論調のものだった。つい最近もネットで「フリーランスでリスクをとっている人の文章は面白い」だとか言った人がいたがこれらの発想はみな同根にあると思う。リスクをとって行動している自分は立派で語る資格があり同時にさほど行動していないと思われる人はヒョーロンカでしかないとみなす考え方だ。

 

自分はこれが気に食わない。そもそも彼等がスゴイとは思えないのだ。いや、実際に尊敬に値する部分はそれなりにあるのは事実だが、起業といっても投資市場が活発でかつてのような人生を賭けるといった趣はなく(もちろんそれでいいのだが)、「お前だって大企業の重役の大変さも引きこもりの苦しさもわからないだろうが」程度のものでしかない。くだんのライターだって、彼女が挙げた「リスクをとっている面白い人」が他の作家・ライターや一般の会社員と比べてもさほどリスクをとっているようにみえず、その文章も独特の感性も深い洞察もなく、ただの作文にしかみえないことも多い。

 

一番嫌なのが、彼等のような人たちが時に「評論家」を蔑称として使うことだ。行動が重んじられるばかりに、冷静に外から分析することが軽んじられすぎている。下記のリンクの本では、評論家の宇野常寛が起業家との対談が納められているのだが、そこで宇野はビジネスの文脈でしか語られないものを社会や文化の面から捉えて意味付けしていく。気づかない見方も多くあり、自分はとても興味深く読んだ。

 こうやってマクロな視点からものの価値を整理したり、新しい見方を提供したりすることもまた創造だろうに。少なくとも行動だけの人よりよっぽど何かを生み出していると思えるのだが…。

資本主義こそが究極の革命である  市場から社会を変えるイノベーターたち

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